おすすめの「花鳥 諷詠」5選 – Kindle本

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おすすめのKindle本「花鳥 諷詠」

NHK俳句 花鳥諷詠、そして未来

骨太な俳句、出でよ! ホトトギス名誉主宰の提言
「花鳥諷詠」に込めた想いを虚子の俳論から読み解き、24人のホトトギスの俳人をつぶさに見てゆくことで、いま俳句が大切にすべきこと、未来へ継承すべきものを検証する。虚子の孫として、長く俳句結社ホトトギスを牽引してきた著者が名誉主宰となった今、俳句界に鳴らす警鐘の一書。

第1章 花鳥諷詠、そして未来
 花鳥諷詠にこめられた意味/花鳥諷詠の自然観/花鳥諷詠の目指したもの
第2章 虚子の教えてくれたこと
 俳句を詠むうえで/季題を最も活用する詩/俳句らしき格調に誇りを持て ほか
第3章 ホトトギスの俳人たち
 優しい庶民派俳人―村上鬼城/崇高な格調―飯田蛇笏/高揚と余韻―原石鼎 ほか

松本たかし句集【580句イラスト付】

★松本たかし:1906年(明治39年)~1956年(昭和31年)
 代々江戸幕府所属であった宝生流能役者の家に生まれる。
 能の修行に励むも、14歳で肺尖カタルとなる。
 その後、病身のため能役者を断念する。

★俳句は高浜虚子に師事、1929年(昭和4年)「ホトトギス」同人となる。
 虚子門下では、川端茅舎、中村草田男、芝不器男に並び称された。
 平明な言葉で、気品に富む美しい句を残した。

・純粋に俳句を楽しんで頂けますように余分な解説等はありません。

・俳句は春、夏、秋、冬の各季節ごとに分けてあります。

・行間を少し広めにし、難しい漢字にはルビがふってあります。

・文字を少し大きめに設定されると、読みやすいでしょう。

♪余分な解説がないので、読み返すたびに新しい発見があり、自分の成長が確認できるでしょう。

俳句の作りよう、俳句への道、他

本書は、青空文庫より以下を収録しています。
 ◆01:俳句の作りよう
 ◆02:俳句への道
 ◆03:子規居士と余
 ◆04:漱石氏と私
 ◆05:発行所の庭木  ※新字旧仮名
 ◆06:百日紅   ※新字旧仮名
 ◆07:古江   ※新字旧仮名
 ◆08:丸の内
 ◆09:俳句とはどんなものか
 ◆10:斑鳩物語   ※新字旧仮名
 ※新字新仮名
 ※縦書き
 ※目次付き
 ※kindle端末移動メニュー目次:2階層表示対応

著者について
 高浜 虚子(たかはま きょし、1874年(明治7年)2月22日 – 1959年(昭和34年)4月8日)は
明治・昭和期の俳人・小説家。本名・高濱 清(たかはま きよし)。
 ホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。

経歴
 愛媛県温泉郡長町新町(現・松山市湊町)に旧松山藩士・池内政忠の5男として生まれた。9歳の時
に祖母の実家、高濱家を継ぐ。
 1888年(明治21年)、伊予尋常中学(現在の愛媛県立松山東高校)に入学。1歳年上の河東碧梧桐と
同級になり、彼を介して正岡子規に兄事し俳句を教わる。1891年(明治24年)子規より虚子の号を授かる。
(中略)
 1954年(昭和29年)、文化勲章受章。1959年(昭和34年)4月8日、85歳で永眠。墓所は鎌倉市扇ヶ谷
の寿福寺。戒名は虚子庵高吟椿寿居士。忌日の4月8日を虚子忌、椿寿忌(ちんじゅき)という。生涯に
20万句を超える俳句を詠んだ。

作家評
 子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた碧梧桐に対して、虚子は1913年(大正2年)
の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。また、季語を重んじ
平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立
した。そしてまた、1927年(昭和2年)、俳句こそは「花鳥諷詠」「客観写生」の詩であるという理念を
掲げた。
 しかしまた反面、碧梧桐が亡くなった翌年の1937年(昭和12年)には嘗ての親友であり激論を交わした
ライバルの死を悼む句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」を詠んでいる。
 俳壇に復帰したのち虚子つまり「ホトトギス」は大きく勢力を伸ばし、大正、昭和期(特に戦前)は、
俳壇即ホトトギスであったといえる。虚子は俳壇に君臨する存在であった。

客観写生
 客観写生は高浜虚子の造語。
 俳句における写生論(文学理論)の一つで、正岡子規の写生論を虚子なりに発展させたもの。
 その理論は、浜人への書簡で明らかにされている。 「私は客覿の景色でも主観の感情でも、単純なる
叙写の内部に広ごつてゐるものでなければならぬと思ふのである。即ち句の表面は簡単な叙景叙事である
が、味へば味ふ程内部に複雑な光景なり感情なりが寓されてゐるといふやうな句がいゝと思ふのである。」
(「ホトトギス」大正13年3月号)とする。
 つまり、俳句は短いため直接主観を述べる余地がなく、事物を客観的に描写することによって、そのうしろに
主観を滲まれるほうがいいという考え方である。 虚子のいう客観写生は花鳥諷詠とあいまって自然を詠うものと
考えられるが、その自然(対象)には「人間界」も含まれている。人間も自然の一部と見るのである。
 虚子が句作の方法としての「客観写生」を提唱するのは大正時代であったが、昭和初期になると「花鳥諷詠」
というスローガンを打ち立てた。その主張は最晩年まで変わらなかった。虚子自身の作品から、「客観写生」
は「花鳥諷詠」のための技法であり、「花鳥諷詠」が実作の概念であったと見る方が正確である。
 深見けん二は虚子の言葉として次のように述べている。「客観写生とは自然を尊重して具象的に表現すること。
まず観察することが基本ですが、それを繰り返していると、対象が自分の心の中に溶け込んできて心と一つになる。
そうなると心が自由になり、最も心が動くようになる」(詩歌文学館賞受賞のことば)ここにある「自然を尊重し」
は、これだけでは誤解をまねくことば。「対象」つまり人間を含む自然とすることが虚子の論に近い。作中主体を
含めた人間を詠んでも良いという虚子の説は俳壇でしばしば曲解されており、虚子の俳句観は人間を軽視していると
批判されている。
 詩歌の理論としては「万葉集」にある「寄物陳思」(きぶつちんし)つまり「ものによせて思いを述べる」と理解
してもいい。 写生といい客観写生といい、それは現代でも有効な創作方法である。
 しかし、もともと虚子自体は主情的な作風であったため、「客観写生」は営業戦略であるとの批判(復本一郎など)
もある。虚子の代表句「春風や闘志いだきて丘に立つ」・「去年今年貫く棒の如きもの」・「爛々と昼の星見え菌生え」
・「たとふれば独楽のはじける如くなり」はいずれも客観写生句でなく、「爛々と昼の星見え菌生え」以外は写生句
ですらない。しかも、虚子は(客観写生句でない)主観写生句である「金剛の露ひとつぶや石の上」(川端茅舎)や
「 秋の航一大紺円盤の中」(中村草田男)を称賛している。虚子が阿波野青畝に指導した際、客観写生から始める
ように説いているが、客観写生は俳人がきちんと身につけるべき技法であり、絶対ではないという認識であるようだ。
安易な主観写生を戒める意味もある。
 しかし、虚子が俳誌等を通じて弟子たちに客観写生を進め、極めるように奨励し、安易な主観写生を戒めたことに
より、客観写生絶対至上主義との誤解を生んでしまった。また、その過程で、水原秋桜子よりも客観写生派の高野素十
を高く評価した事により、1931年、秋桜子は主観の復権を旗印に虚子の客観写生を批判し「ホトトギス」を離脱した。
それは「自然の真と文芸上の真」にまとまられている。これは客観写生が些末主義になったとの指摘である。その背景
には素十と秋桜子の対立もあった。

花鳥諷詠
 花鳥諷詠(かちょうふうえい)は、高浜虚子の俳句理論を代表する根本理念である。
 「花鳥諷詠」は高浜虚子の造語で、1928年に提唱された (1928年4月21日の「大阪毎日新聞」の講演会)。 「花鳥」
は季題の花鳥風月のこと。「諷詠」は調子を整えて詠う意味であるが、挨拶をこれに含めるとする考えもある。
 花鳥風月といえば、通常は自然諷詠の意味になるが、虚子によれば「春夏秋冬四時の移り変りに依って起る自然界の
現象、並にそれに伴ふ人事界の現象を諷詠するの謂(いい)であります」(『虚子句集』)と人事も含めている。この
「花鳥諷詠」は「ホトトギス」(俳誌)の理念であるが、それまで主張していた「客観写生」との関係は必ずしも明らか
ではない。虚子は終生この主張を繰り返し、変えることはなかったが、理論的な展開は示さなかった。
 虚子の後継者である稲畑汀子は「虚子が人事界の現象をも花鳥(自然)に含めたことは重要であるが、その事は案外
知られていない。それは人間もまた造化の一つであるという日本の伝統的な思想、詩歌の伝統に基づくものであった。
アンチ花鳥諷詠論の多くは、この点を理解せず、自然と人間、主観と客観などの二項対立的な西洋形而上学に基づいて
いるため、主張が噛み合っていないように思われる」(「俳文学大辞典」)という。つまり、花鳥諷詠は花鳥風月と分け
て考える必要があり、人間の営みを含めた森羅万象を詠む概念である。つまり、虚子的には「有季」という意味で「花鳥
諷詠」という語を説いたと思われる。
 しかし、花鳥諷詠が花鳥風月に留まらず人事を含める、人事は自然に含まれる、という概念は誤解され、花鳥に人間が
含まれていないから花鳥諷詠は人間境涯や社会的な句と相いれない、ないし花鳥諷詠は自然を愛でるだけの概念、という
主張が俳壇で散見される。そのため、正岡子規から虚子に引き継がれた写生あるいは「客観写生」を肯定する俳人も「花
鳥諷詠」には批判的な立場を取るものが多い。「花鳥諷詠」は「ホトトギス」派と、その一統の日本伝統俳句協会にしか
通用しない理念、とする俳人もいる。ホトトギスが主張するように、花鳥諷詠を人間の営みを含めた森羅万象を詠む概念
とすれば、客観写生、主観写生、他の技法も花鳥諷詠のための手段にすぎない。

   ~ウィキペディアより

※更新履歴
<3版>2014/05/12
 ・「斑鳩物語」1作品追加
<2版>2014/04/12
 ・「俳句とはどんなものか」1作品追加
 ・Kindle端末の移動メニュー:目次の次行に各目次ダイレクトリンク(2階層目)追加
  ※目次に2階層目を追加していましたが、無効にされていたので次行に変更しました。

俳句への道

【高浜虚子】俳人、小説家。正岡子規に師事し俳句を学ぶ。俳句の本質。「花鳥諷詠」と「客観写生」の理念について丹念に詳しく述べている。日本の四季の美しさ、季題の重要性なくして俳句は成立しない。描写することを繰り返すことで俳句の上達はある。

俳句の作りよう

【高浜虚子】俳人、小説家。正岡子規に師事し俳句を学ぶ。初心者のための俳句作りの方法。まず手始めにどうしたらいいのか。具体的な作り方として「まず17字を並べる」そして季語を取り入れ、切字を使ってみることを推奨している。自然を観察し深く考える。埋字による発想の広げ方を学ぶ。